2012年3月、超強力なX線を供給するX線自由電子レーザー(X-ray Free Electron Laser:XFEL)施設SACLAの共用が開始され、様々な基礎・応用科学分野での利用が始まりました。SACLAが解明すべき重要な課題の一つとして、生命科学や材料科学分野において発見あるいは創生されてきたものの、結晶化が極めて困難である粒子や分子、すなわち非結晶粒子・分子をターゲットとした構造解析が挙げられています。これまで、大型放射光施設SPring-8(※2)では、結晶化可能な分子の構造解析が盛んにおこなわれ、世界に誇れる科学上の重要な成果が次々と生み出され、科学・産業・社会へ、裾野の広い貢献・還元がなされてきました。さらに、SACLAにおいて非結晶粒子・分子の構造解析が定常的に可能となれば、その波及は計り知れないと言われています。
XFELを用いた非結晶粒子・分子の構造解析にはコヒーレントX線回折イメージング法(※3)が用いられますが、残念ながら、同法は依然揺籃期にあり、その実験・解析方法の固い土台が確立されたわけではありません。当研究グループでは、これまでの知見から実験装置のデザインについて、非晶質氷薄膜中に試料粒子を高数密度で散布包埋する試料作製法を採用すれば、十分なX線照射確率を確保しながら、信号雑音比が良好な回折パターンを得ることが可能であると考えました。2007年から2008年にかけて、このアイデアに基づいた低温試料固定照射装置“壽壱号“(ことぶきいちごう)の設計・製作、2009-2011年には、SPring-8のBL29XUにおけるXFEL利用想定実験を通じた装置改善や制御ソフトウエア、データ解析ソフトウエアの開発によって、2012年3月の共用開始時には、実験ハッチに設置後、すぐにデータ収集することが可能でした。
その後、SACLA共用開始以来、XFEL利用に特有の問題を解決しながら、2013年3月までには、高効率での非結晶粒子からの回折パターンを高効率で取得できるようになりました。例えば、60時間のビームタイムで、試料交換をしながら、20MBの回折パターンを2.5TB収集しています。試料粒子からの回折パターンは、その散布状況にもよりますが、20-80%の確率で取得できています。これは、生体粒子や材料粒子の液滴や液体ビームを用いた試料の照射野投入方法の1000倍程度の効率となっています。このように本装置の設計概念の正しさが示されたため、この設計概念をより高度なものにすることで、さらに大量の試料について迅速かつ高効率での回折データ収集を行うことが可能な装置へ発展することも期待されています。また、得られるデータが膨大なため、その解析には、スーパーコンピュータ「京」やそこから派生した計算機環境を用いることが不可欠となっています。そのため、壽壱号を用いた非結晶粒子の構造研究は、我が国が誇る国家基幹技術であるSACLAと京の機動的・戦略的連携を促進する、ひとつの方向性を示す事例になることも期待されます。
本研究成果は、慶應義塾大学理工学部物理学科の中迫雅由教授(理化学研究所放射光科学総合研究センター・ビームライン基盤研究部客員主管研究員)、理化学研究所放射光科学総合研究センター利用システム開発研究部門の山本雅貴部門長、大阪大学工学部精密科学・応用物理学専攻の高橋幸生准教授らによるものです。研究成果の詳細は、米国の科学誌『Review of Scientific Instruments』のオンライン版として9月27日付で公開されました。
1.背景
1999年に発案されたコヒーレントX線回折イメージング法(Coherent X-ray Diffraction Imaging、CXDI)は、結晶化が原理的に不可能または極めて困難な巨大分子・粒子やその集合体などの構造解析に適用できるものと期待されています[1]。しかし、単一の分子や粒子の散乱断面積はとても小さいので、強くて波の揃ったX線を試料に入射する必要がありました。この問題を解決するのが、X線自由電子レーザー(X-ray Free Electron Laser:XFEL)からの波面の揃った超高強度X線パルスを用いるCXDI実験です。ただし、超高強度XFEL光パルスが物質に入射すると、干渉縞が生じてすぐに物質中の原子から電子が剥ぎ取られ、原子レベルでの破壊が生じるので、そのことを十分に考慮した実験方法を検討・考案する必要がありました。
2.研究手法と成果
XFELには限られた本数のビームラインしかありませんので、限られた実験時間を効率的に利用するために、従来から生体分子・粒子の電子顕微鏡観察で用いられてきた非晶質(アモルファス)氷薄膜中に試料の分子・粒子を高数密度で散布して包埋する試料作製法を採用した実験装置をデザインしました。薄い氷は粒子のコントラストを悪化させることはありません。それ故、十分な強度のX線を入射すれば、信号雑音比が良好な構造解析可能な干渉縞を観測できます[2]。成熟した電子顕微鏡の技術を利用することで、ユーザーの幅を広げるという利点もあり、また、SPring-8におけるタンパク質結晶の低温X線結晶解析技術の開発を先導してきた本研究グループとって、その延長線上にある技術の開拓に何の躊躇もありませんでした[3]。
低温試料固定照射装置“壽壱号”では、予め凍結固定し液体窒素中に保存した試料粒子[4]を、液体窒素で冷却された試料台に搬送し、ゴニオメータで操作して照射実験を行います。開発に当たっては、蛋白質結晶に対する低温X線回折実験技術や湿度制御X線回折技術、低温電子顕微鏡の試料作製技術、低温物理学での実験技術などを援用しています。図1に壽壱号の全体像を示してあります。この一見風変りな姿の装置は、凍結試料を冷却しながらX線照射するための液化ガス溜め(ポット)を真空槽中央に内蔵しており、実験に先立って急速凍結後に液体窒素中で保存された試料を専用のホルダー、キャリアーと直線導入機を用いてポットへ搬送します。試料真空槽には、L字型のシリコン製X線スリット2枚が組み込まれて、ビームライン上流からの妨害散乱を除去しています。真空槽と直線導入機は、精密定盤に搭載され、入射X線ビームに対して位置調整が可能です。また、装置下流フランジには試料位置を視認するための望遠鏡と検出器との間を結ぶ真空パスが接続されます。回折パターンの測定には、SACLAで開発された高速読み出し可能なマルチポートCCD検出器2台をタンデムに配置して使用します。
2012年3月以来の利用実験では、主にエネルギー5.5keVのX線光子をXFEL加速器から供給されています。特殊なX線反射鏡で集められたX線は、おおよそ1010-11photons/μm2/pulseでした。このように強力なX線パルスを資料へ照射すると、その超強光子場によって、照射野周辺の支持膜等を含めて原子レベルでの激烈な破壊が生じます。一方で、図2に示すような回折パターンが得られ、非結晶粒子の構造をCXDIに特有のアルゴリズムを用いて容易に再生できることから、試料破壊前に粒子の構造に依存したThomson散乱が生じていると考えるのが自然です。この考えを‘diffraction before destroy’と呼んでいます。いずれの回折パターンでも、鮮明度が1に近く、集光XFELビームがほぼ完全な空間コヒーレンスを持つと考えられました。また、大量のデータ取得を可能にしたことで、SACLAから供給されるX線ビーム位置が検出器上の50μm程度の範囲で安定であることも大量のデータを取得することで明らかになりました。なお、壽壱号と並行して開発されたデータ解析ソフトウエアにより、得られた回折パターンは実験後その場で処理され、電子密度図を回復できるよう、ユーザーフレンドリーな実験環境を提供しています[5、6]。